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ショチョガマ、平瀬マンカイ


 秋名アラセツ行事として400年程前からある豊作祈願の伝統行事である。もしオッチャンに会わなければこの祭りには参加できなかったし、知る事さえなかっただろう。

 今や国の重量無形民俗文化財行事となったこの行事は、太陽が昇るころショチョガマが山の中腹で始まり、太陽が沈む夕方平瀬マンカイが岸辺で行われる。ショチョガマは切り妻の片方だけの形をした藁屋根に、男子を中心に乗り、そして「ショチョガマ」の歌を唄いながら、「ヨラ・メラ、ヨラ・メラ」と横に揺すりだす。首尾よく倒すことによって稲魂を呼び寄せ、豊作を招くのである。奄美の方言で歌われる「ショチョガマ」の歌も、「ヨラ・メラ」の掛け声も朝やけに染まる龍郷町に凛として響いていた。

 オッチャンにとってこの伝統行事は幼いころからある日常的な祭りである。オッチャンは口になじんだ奄美の方言で歌を歌い、倒れた藁屋根の上で豊作を願う「八月踊り」を踊っていた。僕にはオッチャンの口にする方言が、まるで知らない国の言葉のように聞こえ、真似する事さえ難しかったが、心地よい奄美の方言をいつまでも聞いていた。

 夕方、海岸で海の彼方から稲霊を招く平瀬マンカイが行われる。「神平瀬」と「女童平瀬」と離れた岩に神人とノロが別れて乗り、歌をうたい、手で招く振りの踊りを交互に踊る。

 龍郷町の集落の人達にとってこの日は特別な日であり、どの家族も重箱を抱えて海岸にやってくる。平瀬マンカイが終わると海岸では宴会が始まる。お互いがほとんど知り合いであるためシートで区切られていたそれぞれの陣地は時間が経つにつれ一つになっていった。そして宴会は大きな宴に変わっていった。

 祭りは月の明かりに照らされながら夜遅くまで続き、僕達はいつまでも踊りつづけていた。
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龍郷町のバーチャン


 5人家族のオッチャンの家では僕達3人は手狭なので隣町のバーチャンの家で生活する事となった。
 大島郡龍郷町。そこは過疎化が進み住民の平均年齢は70歳を超えている。当然なのかもしれないが町を歩いても若い人と会う事はほとんど無い。土日に町に出ても、平日に町に出ても町の静かさは変わらない。そこでは渋谷や新宿の喧騒が全く意味の無い事のように感じた。ただ抜けるような青空があり、時々通る車の音が夏の暑さにに染み込んでいくようだった。昼は川に川海老を取りに行き、夜はハブに気を付けながら街灯の無い道を散歩し、痛いほどの星を見上げて一日を過ごしていた。

「若いモンは、食わなアカン。」
バーチャンはいつも、食べる事に苦労するぐらいの食事を作ってくれた。
「食べるものが無かった時代の人だから、いっぱい食べてもらいたいんだよ。」
と、先に食べ終わったオッチャンはそう言った。
 食べている僕らを嬉しそうに見つめるバーチャンの顔が僕は好きだった。そして、そのどれもが美味かった。
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ナカジマ、タケダそしてオッチャン


 彼らに会って僕の旅は劇的に変わった。
船の中でナカジマと出会い、彼も奄美で降り先に行っている友人タケダのイトコの家に居候すると話した。その時僕は彼らと特に行動を共にしようとは思っていなかったが、結局一番世話になったのは言うまでも無く彼らだった。
 奄美で船を降りたのは僕とナカジマだけだった。タラップの下には一時間遅れの船を待っていたタケダとオッチャンの姿がある。
 ナカジマはオッチャンに船で会った僕のことを説明してくれ、一緒に今日泊まる宿を探してくれる事となった。そしてオッチャンの車に僕達4人は乗りこんだ。

「メンドーだ。家に来い。ニーチャンも。」
一軒目の宿が満室で断られ、車に戻ってきた僕にオッチャンは言った。
何気なく言われたその言葉に戸惑う僕に、オッチャンは続けて
「大勢人数いれば飯も美味いし、酒も美味くなるから好都合や。来い、来い。な」
といい、僕の奄美での宿は決まってしまった。

 オッチャンの家に着くと、小学生のユウスケ、リオ兄弟と中学生のシホが迎えてくれた。
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ヒラノ サトシ


「鹿児島寄って帰ろうと思うんですけど、どこか安い宿とか美味い店とか知ってません?」
どうしても帰りは九州から帰りたかった僕は、鹿児島出身という船員に九州の情報を聞いていた。
「知ってると。」
と言い、僕の差し出したメモ帳にある一軒の食堂と健康センターの住所を書き始めた。
「美味いと思うと。この店のラーメン。」
彼はニヤケながらそう言うと、僕に渡した。
 そして彼は、その食堂は全国からテレビの取材を受けるほどの鹿児島でも有名なラーメン屋であり、テレビ等の取材が来ると必ず断る頑固おやじが居る、と話した。良い話が聞けたと僕は思い、
「行ってみます。」
と言ってメモを大事にしまった。

次の日、僕が奄美大島で船を降りる時、彼ははにかみながら言った。
「あの店、俺の実家なんだよ。」
そして、オヤジによろしくと。
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パラパラと自衛隊


 東京有明から2泊3日。何の変更もなく順調に船は奄美大島に着いた。
台風が直撃した前の便は奄美まで一週間かかったという。

 船の中は奄美の他に寄港する与論島、沖縄に行く団体がほとんどだった。パラパラを踊るために与論島に行くギャルの団体、沖縄に慰安旅行に行く新入自衛隊員の団体、沖縄にこれから帰るというデンマークの人達。たとえ、どこかでNHKのトップニュースを飾るような大事件が起きてもこの船の中だけは平和であるかのようだった。

 船は長距離フェリーであると同時に物資を運搬する輸送船でもあった。与論島や奄美大島の人達にはこの船は移動するためには大変重要な存在であり、生活するためにも無くてはならないものであった。島に台風が近づき天候が悪くなると、船は脆くも欠航する。島では牛乳など生活用品が少なくなっていき、苦労するという。そんな船で船員は2ヶ月間船の中で働き続け、後1ヶ月の休みを得る。
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出発
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プロローグ


僕の好きな写真家、斎門富士夫はこう言っている。

  旅をしたい、という衝動は
    さっきまでなにもなかった青空にポコンと雲が生まれるように
      頭の中に浮き上がる。

そしてこの言葉に共感した。

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